笹山遺跡



笹山遺跡は新潟県十日町市中条に所在し、遺跡は信濃川の右岸の河岸段丘上に立地し、
標高170mから180mである

縄文時代 中、後期と中世の集落が検出している、
縄文時代の遺構は、遺跡の南北を流れる水無川と才明寺川の土石流堆積物に覆われていた

今から約4000から5000年前に縄文時代の人が生活していた。
笹山を始め十日町に現在25カ所の遺跡がある。

これは全国の合計200遺跡の13%にあたる数である
まさに「火焔の都」というにふさわしい地域である

火炎土器(雪炎(ゆきほらむ)は高さ46.5cmで全国最大規模の土器である。
笹山は、工房(工場)というより市場のような所だと思う。土器の土質や大きさが、
多種、多様なので、
市場 (笹山で土器と物を交換していた) の可能性が強い。

近年までは、縄文時代は争いのない幸せな時代であったとする説が有力でしたが
最近は集団の争い、戦争が繰り広げられていたとするみかたが、多くなってきた。
負ければ追い払われるわけで、ヤジリ、や石ヤリのような
武器、狩猟具 が発達するでしょう。

ところが笹山遺跡にはたいへん少ない、 一方で石皿、磨石類のような
調理具が多く出土しています

では、なぜか 、生活用具を多く作ていたのか

それは優れた自然があったからだと思います
東の山は浅く山菜、木の実のなる木が多い
前面には大森林と草原が広がりシカ、イノシシが群がっている
西には大川が蛇行して魚、貝の住む川のたまりが多くある

以上のように食料がいつも確保されている環境で
笹山縄文人は争いのない、幸せな生活を送っていた
のではと思います。


縄文時代
中、後期
遺構 遺構は、炉跡112基
土器 土器は系統別に
在地系(越後系)、東北系、北陸系、中部高地系、東北関東系に分類した
石器 総数9,331点の石器が出土している

なお蛇紋岩、翡翠は、姫川産(糸魚川市)と推定される
中世 遺構
堀立柱建物跡 27軒
鍛冶工房跡  2軒
井戸跡     1基
溝跡       1本
遺物 青磁、白磁、珠洲焼き、瀬戸、美濃焼、土師質土器などあり13〜16世紀代のものである
ほかに硯、砥石、、短刀、北宋銭、など出土している
本遺跡は、鎌倉時代から戦国時代にかけての豪族の屋敷あるいは居館を

核に展開した武士層の集落跡と推定され、上野国から進出、土着した

新田氏一族の大井田、中条氏との関連がうかがえる


十日町市国宝館 火焔の都 計画

計画は平成14年秋に決まった。それは、国宝の整備保存と活用、自然と調和した設備で交流人口の増加を目指す。

基本計画(第一期計画分)は平成15年3月までに作る
それに基づいて実施計画が作られる。
「国宝館は博物館と同じ物では意味がない。
博物館とは違った特色のある施設にしなければならない

「基本計画」には 交流人口の増加とあるが、十日町の現在の交流人口は年間 80万人、中魚沼郡全体では180万人
南魚沼郡の湯沢町は1800万人だから 魚沼全体でも湯沢のの 10分の1だ
計画は20年30年まで続く長い計画であり
これからは「国宝館」を全国に発信して交流人口の倍増を目指したものにした方針である。


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