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小鍛治敏應(こかじとしまさ)先生は明治34年8月22日北蒲原郡松が崎でお生まれになりました。
昭和2年3月新潟師範学校本科をご卒業後,戦前・戦中を通じて県の教育界に身を投じてこられました。
そして戦後,新制中学の発足にともない昭和22年4月,新設の中魚沼郡水沢村立水沢中学校の初代校長と
して赴任されました。とはいえ,当時は中学校の校舎もなく水沢小学校校舎の一部を借用しての開校式を挙
行するとともに,新しい中学校の教育カリキュラムの作成に尽力されました。その後,昭和24年3月に待
望の独立校舎の完成とともに中学校教育界を本格的にスタートさせる基盤を作られたのでした。
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小鍛治先生は,昭和25年10月の屋内運動場の落成を見てまもなくの10月31日付で南蒲原郡中 之島村立中之島中学校長として転出されました。水沢中学校での在任期間は3年6ヶ月でしたが,創立期の 校舎建築をはじめ,新築校舎の記念展覧会,教親会よりのピアノ寄贈を受けての記念音楽会,山林復興のた めの杉の植林,新潟市への1泊修学旅行など今日の水沢中につながる教育活動を展開されたのでした。
この間にも野中分校が野中小学校の2教室を借用して同時にスタートを切っていたのでしたが,昭和 24年3月1日の火災のため焼失,やむなく鍬柄沢,当間,二俣口にあった雪中派出所での授業を行うこと になりました。派出所での授業は昭和24年11月11日の野中小学校の校舎新築時まで続くことになるの ですが,当時は雪も多く交通の便も悪かったため火災直後に校長が駆けつけられなかったこと,分校の不便 を強いる等になることなどに非常に心を痛めておられたということです。
小鍛治先生にお世話になった第1回から第4回くらいの卒業生が中心となり,文通やその後の交流が 続いていたのです。昭和63年10月には先生の88歳の米寿を祝う会を当時のお住まいの新潟市より水沢 にお招きして盛大にとり行いました。こうした交流の中で,水沢中学校の発展を願っておられた先生は, きわめて清貧な生活の中で蓄えられた資財を水沢中学校のためにたびたび寄贈されました。
読書奨励のため,旧校舎時代の昭和57年に蔵書並びに200万円の寄贈をいただき「小鍛治図書 館」を創設しました。さらにその後300万円の寄贈を受け,現在の「小鍛治文庫」が誕生しました。 そして,平成9年の創立50周年記念事業の一環として全クラスに「小鍛治学級文庫」を新設しました。
また,このほかに校舎の新築移転時には前庭にケヤキの寄贈を受けたり,校門の銘文を書いていただ いております。
小鍛治先生はお子さまもなく,奥様を亡くされた後は新潟市で一人暮らしをされていたのですが, 水沢の卒業生や戦前の小学校時代の教え子が時々訪れては身の回りのお世話をしておりました。
身寄りのなかった小鍛治先生は,体調を崩されてからは卒業生の世話で中里村の上村病院で療養され ておりましたが,平成5年4月16日にご逝去され,よく17日には全校生徒が前庭に整列してご遺体を お見送りいたしました。御霊は豊栄市浦木の通恵寺に眠っておられます。